現代社会において、ストレスや疲労の管理は安全管理と生産性の両面で極めて重要な課題となっている。労働環境の変化、テクノロジーの進展、グローバル化、少子高齢化といった社会的要因が重なり、従業員はかつてないほど複雑で多様なストレス要因に晒されている。
仕事の過重負担、家庭生活の不安定さ、社会的圧力や健康上の問題などは、日常的に従業員の心身を蝕む。これらの要因によって引き起こされるストレスや疲労は、一時的な不調にとどまらず、慢性的に蓄積することで深刻な健康障害へとつながる。集中力や判断力の低下、うつ病、燃え尽き症候群(バーンアウト)、さらには心血管疾患や免疫系の不調など、長期的なリスクは極めて大きい。
加えて、ストレスや疲労は組織全体のパフォーマンスや安全性にも直接的な影響を与える。例えば、医療現場では看護師の疲労が医療過誤を引き起こすリスクを高め、航空業界ではパイロットの睡眠不足が重大事故につながる可能性が指摘されている。製造業や建設業でも、集中力の欠如や判断の遅れは労働災害を招く大きな要因となる。
こうした状況において注目されるのが、ノンテクニカルスキル(Non-Technical Skills: NTS)である。NTSは、職場や日常生活における自己管理、コミュニケーション、問題解決、時間管理、チームワークといった人間的能力を支えるスキル群であり、ストレスや疲労を軽減する「防波堤」として機能する。さらに、事故防止や生産性向上に直結することが多くの研究で示されている。
本稿では、まずストレスと疲労の基礎的理解を整理し、次にNTSとの関係を探る。そして、具体的なスキル例や組織としての実践的取り組みを紹介し、最後に今後の展望を提示することで、ストレス・疲労管理におけるノンテクニカルスキルの可能性を包括的に考察する。
ストレスと疲労の管理
ストレスと疲労の定義と特徴
ストレスとは、外部からの要求や圧力に対して心身が反応する生理的・心理的プロセスである。適度なストレスは「良いストレス(ユーストレス)」とも呼ばれ、短期的には集中力や行動力を高める効果がある。例えば、試験やプレゼン直前の緊張感はパフォーマンスを向上させることがある。
しかし、ストレスが長期化・慢性化すると「悪いストレス(ディストレス)」に変わり、不安障害、抑うつ、免疫機能の低下、生活習慣病の悪化などのリスクを高める。また、ストレスは心理的影響だけでなく、肩こりや頭痛、胃腸障害、睡眠障害といった身体症状として現れることも多い。
一方、疲労は身体的・精神的資源の消耗状態を指し、適切に回復できなければパフォーマンスの低下や判断ミスを招く。肉体労働による身体的疲労に加え、情報過多や長時間のデスクワークによる精神的疲労も現代社会では顕著である。特に、慢性的な疲労は「慢性疲労症候群」や「過労死」といった深刻な健康問題に直結する。
つまり、ストレスと疲労は密接に関連し、相互に悪循環を形成する。過度のストレスは疲労を加速させ、回復できない疲労はさらなるストレス反応を引き起こす。このサイクルを断ち切るためには、日常的なセルフマネジメントと組織的なサポートが不可欠である。

現代社会におけるストレス要因
現代社会では、ストレスや疲労の原因が多様化し、複合的に作用している。主な要因を以下に整理する。
長時間労働や過重な業務
日本を含む多くの国で、依然として長時間労働が問題視されている。過重労働は心身の疲弊をもたらし、過労死のリスクを高めることが社会問題となっている。リモートワークによる境界の曖昧化
新型コロナウイルスの流行以降、在宅勤務が急速に普及した。その結果、仕事と生活の境界が曖昧になり、**「常時オン状態」**による慢性的なストレスや疲労を訴える人が増えている。組織内の人間関係の摩擦
職場における対人関係のストレスは、業務負荷以上に従業員の精神的健康を左右する。パワーハラスメントやコミュニケーション不足は、離職やメンタル不調の大きな要因となる。家庭生活や介護との両立
少子高齢化が進む中で、仕事と家庭、特に育児や介護との両立が従業員に重い負担を課している。これにより、特に中堅層の従業員は二重三重のストレスに晒されている。経済的不安や将来のキャリア不透明性
グローバル経済の変動や産業構造の変化により、雇用の安定性が低下している。将来のキャリア展望が描けない不安は、心理的ストレスを長期化させる要因となる。
これらの要因は相互に絡み合い、従業員に過度な負担をもたらしている。結果として、パフォーマンス低下、離職率の増加、労働災害の発生率上昇といった形で、組織全体にも大きな影響を及ぼしている。

ノンテクニカルスキルとストレス・疲労の関係
NTSが果たす役割
ノンテクニカルスキル(NTS)は、単なる「補助的な能力」ではなく、ストレスや疲労の発生を抑制し、発生後の影響を軽減する重要な要素である。現代の職場におけるストレスや疲労の多くは、必ずしも技術的スキルの不足から生じるものではなく、人間関係の摩擦や業務遂行上の調整不足から発生する。ここでNTSが果たす役割は大きい。
問題解決能力:課題を細分化し、複雑な問題を整理することで「何から手を付ければよいか分からない」という不安感を軽減できる。例えば、納期に追われる状況でも、問題を分解し、実行可能なステップに落とし込むことで心理的負担が減る。
コミュニケーション能力:適切な対話によって誤解や摩擦を解消し、ストレス要因を早期に取り除ける。特に上司と部下、異なる部署間での情報共有不足は疲労感を増大させるため、正確かつ迅速なコミュニケーションが重要となる。
自己管理能力:睡眠、休養、運動、栄養など生活習慣を整えることは疲労防止の基盤である。特にシフト勤務や夜勤の多い業種では、自己管理能力が健康維持の鍵を握る。
時間管理能力:タスクを適切に優先順位づけすることで「締め切りストレス」や「過重労働」に伴う精神的疲弊を予防できる。
チームワーク:周囲と協力することで個人に過剰な負荷が集中するのを避け、心理的・肉体的疲労を分散させる。これは、組織全体のレジリエンス強化にも直結する。
このようにNTSは、**ストレスと疲労の「調整弁」**として機能する。

NTSによる予防効果
ノンテクニカルスキルは、問題が発生した後の対応力を高めるだけでなく、ストレスや疲労を未然に防ぐ予防的効果を持つ。
自己管理能力 → 無理なスケジュールや過重労働を回避し、長期的な疲労蓄積を防ぐ。
コミュニケーション能力 → 誤解や対立を未然に解消することで、職場の人間関係由来のストレスを軽減。
問題解決能力 → 早期に課題を処理することで、先延ばしによる心理的圧迫感を抑える。
このように、NTSは「事後対応」だけでなく「予防医学的アプローチ」としても重要である。特に医療・航空・建設など高リスク領域では、事前の予防が事故防止に直結するため、NTSの教育は不可欠とされている。

ストレスや疲労に対するノンテクニカルスキルの具体例
自己管理能力の向上
睡眠時間の確保:7〜8時間の安定した睡眠は、認知機能と情緒安定に不可欠。
適度な運動と栄養バランス:有酸素運動やバランスの取れた食事は、疲労回復力を高める。
メンタルヘルスセルフチェック:簡易なストレス評価尺度(例:PSS, GHQ)を用いた自己点検により、早期対応が可能となる。
コミュニケーション能力の向上
アサーティブネス:自己主張と相手への配慮を両立する表現技法は、摩擦を減らす。
適切なフィードバック:批判ではなく建設的対話に基づいたフィードバックは、心理的安全性を高める。
オープンダイアローグ:自由に意見を交わす場の設置は、信頼関係を醸成しストレス緩和につながる。
問題解決能力の向上
ロジックツリーやKJ法:複雑な課題を可視化し、整理することで「思考の混乱」による疲労を減らす。
複数解決策の検討とリスク評価:一つの解決策に固執せず、選択肢を広げることは心理的余裕を生む。
合意形成訓練:チームでの意思決定をスムーズに進めることは、余計な摩擦や不安を防ぐ。
時間管理能力の向上
優先順位付け(Eisenhower Matrix):重要度と緊急度に基づいてタスクを整理し、過労を防ぐ。
集中作業と休憩のバランス(ポモドーロ・テクニック):短い集中と休息を繰り返すことで疲労を軽減。
デジタルツール活用:カレンダーやタスク管理アプリによる「見える化」は、計画的業務遂行を支援。
チームワーク能力の向上
相互支援(Mutual Support)の文化:仲間同士のサポート体制が、個人の疲弊を防ぐ。
多様な意見の尊重と役割分担の明確化:曖昧な責任範囲を減らすことで不要な摩擦を回避。
チーム目標の共有:共通の目標があることで、協力関係が強化され、心理的負担が軽減する。
ノンテクニカルスキルは、ストレスや疲労を「回復」させるだけでなく、未然に防ぎ、持続的に健全なパフォーマンスを維持するための鍵である。個人の生活習慣改善から職場の人間関係構築、さらにはチーム全体の協働体制まで、幅広い領域でNTSは効果を発揮する。
組織におけるストレス・疲労管理とNTS推進
ストレスや疲労は個人の問題であると同時に、組織全体の安全性・生産性・人材定着率に直結する経営課題である。個人のセルフマネジメントだけでは限界があり、組織として体系的な仕組みを導入することが求められる。ここでは代表的な施策とその効果について解説する。
組織施策の具体例と効果
| 組織施策 | 具体例 | 期待される効果 |
|---|---|---|
| 健康管理の推進 | 健康診断の徹底、年1回のストレスチェック制度、社内ジムや運動施設の整備、産業医面談の定期化 | 疲労・疾病リスクの低減、メンタル不調の早期発見 |
| ワークライフバランス改善 | フレックスタイム、テレワーク制度、計画的な有給休暇取得促進、育児・介護休暇の柔軟運用 | 過労防止、従業員満足度の向上、離職率低下 |
| コミュニケーション改善 | 定期的な1on1ミーティング、ピアフィードバック制度、ハラスメント相談窓口の設置 | 職場の心理的安全性向上、ストレス要因の早期把握 |
| スキルアップ支援 | NTS研修、キャリア開発支援、eラーニングの導入、社内メンター制度 | 自己効力感の向上、組織へのロイヤルティ強化 |
| サポート体制整備 | 社内カウンセリング窓口、EAP(従業員支援プログラム)、メンタルヘルス研修 | 深刻化の防止、従業員が安心して働ける環境整備 |
| 働き方改革 | 労働時間短縮、成果主義・ジョブ型人事制度の導入、業務のDX化による効率化 | 生産性向上と健康維持の両立、持続可能な働き方の実現 |
こうした施策は単発ではなく、組織文化と結びつけて継続的に実施することが重要である。NTS教育と連動させることで、単なる制度改革ではなく従業員の行動変容につながる。
教育・訓練の実践例
医療分野
医療現場は高ストレス環境であり、疲労管理とNTS教育は不可欠である。
TeamSTEPPS:米国発のプログラムで、医師・看護師・薬剤師など多職種間の協力行動を強化。疲労や緊張下でも安全に業務を遂行できるフレームワークを提供し、日本の医療機関にも導入が進んでいる。
シミュレーショントレーニング:手術室や救急現場を模擬し、緊急事態を再現。ストレス下での迅速な意思決定、情報共有、リーダーシップを訓練でき、医療事故防止に大きな効果がある。
航空分野
航空業界は、NTS教育の先駆者として知られる。
Crew Resource Management (CRM):1970年代の事故を契機に導入されたプログラムで、疲労管理・意思決定・チームワークを重視。導入以降、ヒューマンエラーに起因する事故率は大幅に減少した。
疲労管理プログラム:長距離フライトや夜間勤務における判断力低下を防ぐため、勤務シフトの調整、仮眠制度の導入、パイロット自身の疲労申告制度を運用。ストレス耐性と安全性の両立を実現している。
製造・建設分野
製造や建設は現場作業が中心で、肉体的・精神的疲労が事故に直結する産業である。
KY活動(危険予知活動)とNTS訓練の統合:従来の安全点検に加え、状況認識・意思決定・コミュニケーションの観点を取り入れることで、従業員の心理的負担を軽減しつつ事故を防止。
現場監督者研修:長時間勤務や突発的トラブルに直面する現場監督者に対し、ストレス下でのリーダーシップや指示力を強化する研修を実施。これにより、組織全体の安全文化向上にも寄与している。
組織としての取り組みは、**制度設計(ハード面)と教育・訓練(ソフト面)**の両立が必要である。特にNTSの導入は、単にスキルを学ぶだけではなく、ストレスや疲労を減らし、心理的安全性を高める文化を醸成する仕組みとして機能する。
教育効果の評価と課題
評価の課題
ノンテクニカルスキル(NTS)教育の効果を測定することは容易ではない。理由は以下の通りである。
観察評価に主観が入りやすい
多くのNTS評価は指導者や観察者による行動観察に基づいて行われる。そのため、評価者の経験・価値観・文化的背景が影響し、客観性が損なわれるリスクがある。特に「リーダーシップ」「協力姿勢」など抽象的な概念は評価基準の統一が難しい。研修効果が時間とともに減衰する
研修直後には明らかな改善が見られても、数か月後には行動変容が薄れてしまうケースが多い。これは、NTSが「知識の習得」ではなく「行動習慣の定着」を伴うスキルであるため、継続的フォローアップが不可欠である。組織文化の影響を受けやすい
個人が研修でNTSを習得しても、職場の文化が「声を上げにくい」「失敗を許さない」など抑圧的であれば、スキルを実践することは難しい。そのため、教育評価は個人レベルだけでなく組織文化の成熟度も同時に考慮する必要がある。
主な評価ツール
NTSの教育効果を測定するために、いくつかの代表的評価ツールが開発されている。
NOTSS (Non-Technical Skills for Surgeons)
外科医のために開発された評価指標で、状況認識、意思決定、コミュニケーション、チームワークの4領域を観察評価する。手術室のような高ストレス環境下での実践的評価に適している。ANTS (Anaesthetists’ Non-Technical Skills)
麻酔科医向けに開発された評価スケール。患者の安全を守るためのタスク管理、チームワーク、意思決定、状況認識を重視する。360度評価
上司だけでなく、同僚・部下・関係者からのフィードバックを総合的に収集する仕組み。多面的視点を導入することで自己認識とのギャップを可視化できる。ただし、組織文化が未成熟な場合は「本音が出にくい」ことが課題となる。
これらのツールを単独で用いるのではなく、複数組み合わせることで評価の信頼性と妥当性を高めることが推奨される。
今後の展望
デジタル技術の活用
近年、デジタル技術はNTS教育の質的向上に大きく寄与している。
VR/ARによる没入型学習
仮想現実を用いたシナリオトレーニングでは、現実に近い高ストレス環境を安全に再現できる。医療現場では「急変対応シミュレーション」、建設現場では「災害対応シナリオ」として活用が進んでいる。AI解析による客観評価
研修中の会話データや映像をAIが解析し、発話頻度、対話のバランス、表情や姿勢を数値化する技術が開発されている。従来の主観評価に依存せず、定量的なフィードバックが可能となる。
異業種連携
航空・原子力・医療といった高リスク産業で確立されたNTS教育手法は、製造業やサービス業にも応用が期待されている。
航空のCrew Resource Management (CRM)の知見は医療分野のTeamSTEPPSに応用され、医療事故の削減に寄与している。
原子力分野の「多重防御」や「ヒューマンファクター管理」の手法は、製造・建設業界のリスク管理にも取り入れられている。
今後は、異業種間でNTS教育のベストプラクティスを共有し、国際的な標準化が進むことが期待される。
安全文化との統合
NTS教育は単なるスキル研修ではなく、組織全体の安全文化を根付かせるための中核的施策であるべきだ。
心理的安全性を確保することで、従業員はストレス下でも声を上げやすくなる。
失敗を学びに変える文化を醸成することで、疲労やストレスが事故につながる前に改善が可能になる。
NTSを個人の能力として捉えるのではなく、組織の行動規範や価値観として統合することが、持続的なストレス・疲労管理に直結する。
まとめ
ノンテクニカルスキルは、ストレスや疲労に適切に対応するための「人間ならではの力」であり、個人と組織の双方にとって不可欠な資産である。
個人にとって:自己管理・時間管理・コミュニケーション・チームワークを習得することで、ストレスを軽減し、キャリア発展や生活の質向上につながる。
組織にとって:従業員の健康維持・離職率低下・事故防止を実現し、持続可能な成長を支える。
今後、AIや自動化が進展するほど、人間が持つ判断力・共感力・協働力の重要性は高まるだろう。テクノロジーが進歩すればするほど、ノンテクニカルスキルは「人間らしさを活かした競争力」として価値を増していく。
したがって、ノンテクニカルスキルを軸に据えたストレス・疲労管理こそが、未来の職場における持続的競争力の源泉であるといえる。
参考文献
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Helmreich, R. L., & Foushee, H. C. (2010). Crew Resource Management. Academic Press.
厚生労働省. (2019). 職場におけるストレスチェック制度の実施状況報告書.
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Reason, J. (1997). Managing the Risks of Organizational Accidents. Ashgate.















