看護師がインシデントを隠すとき~それはアクシデントに変わる

カメラ目線の青い目の猫
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罰を与えることは、罰を避ける方法を教える

ジェラルド・ワインバーグ

自分のミスを平気な顔して報告できる人間などいません。できれば隠したいと思うのが人間の性でしょう。

人間は順境なときより、ときに逆境でその真価が問われます。成功体験から学ぶこともあれば、失敗から多くを学ぶときもあります。

いずれにしても人間は「学ぶことができる」のです。

しかし、自らそれを放棄することがあるとしたら、それはどのような要因によるものか。それは当人にしかわからないのかもしれません。

ただ、医療に携わる人間として、自らの行為を自省できないのは由々しき問題であり、恥ずべきことかもしれません。

インシデントを隠すということは、学習の機会を失うだけでなく、自ら積み重ねてきた努力さえも裏切ることになるかもしれません。

この記事ではインシデントを隠蔽する心理、そしてそれを無意識に促進してしまっている組織文化について解説します。

看護師がインシデントを隠す心理

冒頭で述べたように、自分のミスを公にしたい人間などいません。おそらく誰もが心のどこかで隠したい気持ちを抱えるでしょう。

にもかかわらず、なぜ医療者はミスを報告するのか?

報告することが再発を防ぐための始点であると知っているからです。

そう、知ってるんです。

でも隠したい。できれば無かったことにしたいのです。

答えはそれだけです。インシデントを隠したい心理などと見出しに書きましたが、それは単純なことです。

つまり「隠したいから隠す」んです。

しかし、重要なのはそこではありません。隠したい心理をどれほど掘り下げようと、隠したい気持ちが消えるわけではありません。大切なのは、いかにその気持ちを打ち破るかではないでしょうか?

なにを恐れているのか?

インシデントを隠蔽しようとするとき、人それぞれ隠したい理由があるでしょう。

「能力が無いと思われたくない」

「先輩に叱られたくない」

「評価が低くなるのを避けたい」

「レポートの提出をしたくない」

これらの理由には1つ共通点があります。それは全て語尾が「回避」で終わっていることです。つまり、インシデントを隠すという心理または行為は、回避することなのです。

それでは「なに」から回避したいのか、です。

その人の心理の奥底には「恐れ」があるのではないでしょうか。そして一体、なぜ恐れているのでしょうか。

看護師が抱える心理的なコンフリクト(葛藤)

看護師のインシデント報告における葛藤を説明する図

報告してもしなくても非難される

医療機関ではインシデントが発生したら報告する制度を導入しています。

通常はインシデントレポート(報告書)の書式に従い、現場の管理者あるいは医療安全推進室など所定の提出先に報告します。

インシデントの報告制度を導入する目的は、発生した有害事象を学習の機会に活かし、必要な場合は分析し対策をするためです。つまり、再発を防止して、アクシデントに発展するのを未然に防止することにあります。

とはいえインシデントの報告は、現場からのボトムアップによってなされるため、報告を促進する必要があります。

だからこそインシデントの報告は建前として「罰せず」ということになっています。もし本当に報告によって「罰せず」となっているのであれば、人は報告することを回避したいと思わないのでしょうか。

おそらく罰せられないだけでは、報告を隠蔽するという問題は無くならないでしょう。

看護師にとってインシデントそれ自体が大きな負担

インシデント報告による期待と現実のギャップ説明図

看護師がインシデントを起こしたとき、それ自体が心理的な負担になっています。

インシデントそれ自体が、すでに罰なのである」という言葉があるように、平然とその事実を受け止めている看護師などいないはずです。

もしもインシデントを起こして平然としていられる看護師がいたなら、恐らくその人は医療者として根本的な問題を抱えているといっても過言ではないでしょう。

人間は過去の出来事からも多くを学ぶことができます。それは必ずしもポジティブなものだけではありません。

過去にインシデントを起こしたことによって、何かしらの罰を受けたり、過剰な叱責を受けている看護師にとって、インシデントを報告するということが大きなリスクになっているのです。

つまり、起きたインシデントがアクシデントに発展する可能性があったリスクよりも、報告することの方が大きな個人的リスクになるという「学習」をしてしまっているのです。

インシデントを隠すというアクシデント

看護師はインシデントを隠すのではなく報告すべきです。

理由のいかんによらず、報告すべきインシデントが発生したら、速やかに報告すべきです。もし仮に初動が遅れてしまえばアクシデントにつながる可能性もあります。

また、インシデントが発生したら、それは再び起こる可能性のあることです。そのため、現場でインシデントの事象を共有し、迅速な対応をする必要があるのです。

心理的な葛藤はインシデントを報告しない要因になったとしても、報告しない理由にはなりません。

インシデントを隠したいという気持ちになったら、「今こそ看護師としての自分が試されてるとき」だと腹を決めて報告しましょう。

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看護師がインシデントを隠す組織

組織文化とは、組織の成員が共有する行動様式の体系である

シドニー・デッカー

インシデントの報告を阻む組織文化

インシデントの取り扱いに、その組織の安全文化が如実に表れるものです。

私たちはときに、分析によって全体を見失い、「組織」という概念によって個々を見失います。「木をみて森をみず」「森をみて木をみず」を繰り返すのです。

大切なのは「木もみて森もみる」という視点であり視座です。

私たちは自らが置かれるポジションによって視座が変わります。視座が変われば視野も変わり、視界も変わるのです。

新人には新人の、ベテランにはベテランの、そして管理者には管理者の見える世界がある。その差異を多様性として組織に活かすのか、あるいは機能性を失ったバラバラの「集団」に甘んじるか。それは組織の成員すべてに課された大きな課題といえます。

とりわけ管理者は、現場に与える医療安全の手段を目的化してはなりません。もし仮に看護師がインシデントの報告を隠すなら、その目的の失敗を意味します。報告がなければ、管理者が現場の状況を把握することは不可能になるからです。

フィードバックのない一方的な報告の収集

(報告者に)役立つフィードバックが得られないと感じるほど、事象報告があがってこなくなる。

ジェームズ・リーズン

組織によっては報告する制度が形骸化している場合があります。そういった組織では、報告をする側も「何のため」に報告をするのか意義を見失っているかもしれません。

報告する制度の主眼である再発防止に活かされないなら、組織の成員が報告するモチベーションを維持できるでしょうか?

フィードバックされない報告が、はるか彼方に飛んでいってしまえば、報告者の側からは何ら報告するベネフィットはありません。

再発の防止、あるいは学習のためといっても、実際にはそれに活かされていないから、報告する側は意義を見出せなくなるのです。そのような場合には、インシデントレポートの作成も提出も始末書や反省文と受けとめてしまっても不思議ではありません。

組織はインシデントの報告のしやすさを最大化し、その活用も最大化すべきだということです。

個々人の倫理観や意欲、安全に寄与する態度にだけアプローチするだけでは不十分であり、組織として報告制度の構築に向けて取り組む必要があるのす。

まとめ

インシデントはあくまでも「望ましくない事象」です。

そのインシデントが発生したということは、アクシデントに繋がる可能性があったということです。しかし、もし報告すべきインシデントを隠蔽したら、それはすでにインシデントと呼ぶべきものではありません。

もう他の何かです。

報告する制度、そして文化というのは、医療安全における土台ともなる重要なものです。しかし、組織の一員である看護師が、インシデントを報告しないということは、暗に安全を否定してることと同義です。

もしそのような状況があるとしたら、そのインシデントはすでにアクシデントなのです。

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